大判例

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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)12165号 判決 1989年4月18日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金七〇七四万五九一二円及びこれに対する昭和五七年一一月六日から支払済みまで年五分割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、虎の門病院を経営している。

2  原告(大正一〇年二月一三日生)は、昭和五五年一二月二日、旅行先であったフランス国ロワール地方のシャトー・シュノンソーにおいて、階段を昇行中、足を踏み外し、転倒して頭部を打ち、入院して同地の医師の診察を受けたが、X線写真等による診断の結果、神経学的に異常はなかった。原告は、同月六日アンボアーズの病院を退院し、同月一一日帰国の途につくまでの間、異常もなく、連日パリの市内見物や買物をして過ごした。

3  原告は、同月一二日午後九時ころ、成田空港着で帰国したが、かかりつけの虎の門病院で検査を受けることとし、その足で知人の自動車で同病院を訪れ、頭蓋内の異常の有無について診察を求めた。

同病院の医師山田正三(以下「山田医師」という。)は、CTスキャン及びルンバール・タップ(腰椎穿刺で髄液を採取して行う検査)の方法により検査をし、異常はないから帰宅して翌日再来するように告げたが、原告は、家族のすすめがあったのと自らも一抹の不安が残ったため、更に精密な検査を要求し、右検査とあわせて旅行の疲れを癒すため、そのまま虎の門病院に入院した。

かくして、原告と被告との間には、同日、頭部打撲による頭蓋内の異常の有無を診断すること及び異常があればその治療を施すことを内容とする準委任契約が成立した。

4  原告は、同月一六日、一三時四五分ころから一四時三九分ころまで、山田医師らによりセルジンガー法による脳血管撮影(以下「本件撮影」という。)を受けたが、山田医師において大腿動脈を穿刺してカテーテルを挿入し、造影剤を動脈に注入して撮影を施行中、原告の右側前・中大脳動脈系に血栓による梗塞を生じ、この結果、左片麻痺の後遺症の障害(身障者福祉法による身体障害者障害程度二級)を受けるに至った。

5  被告は、入院時から同月一六日の本件撮影まで四肢の麻痺もなく意識も清明であったのに、本件撮影後片麻痺が発現したのであるから、左片麻痺が本件撮影に起因するものであることは明らかである。

6  被告医師の注意義務違反

(一) 脳血管撮影を行った場合、副作用や合併症を惹き起こし、片麻痺や死亡等の重篤な結果をみることがある。ある統計によれば、重篤な合併症の発生率は四パーセントとされ、重篤な結果の発生する確率は施術する医師の医療技術水準に関係しないとの見解もあり、一定の確率での危険の発生は不可避である。

そして、脳血管撮影を高血圧で動脈の硬化している老齢者に施行する場合、危険発生の確率は一般の場合よりも高くなる。

とりわけ、セルジンガー法による脳血管撮影は、長さ一メートル前後のカテーテルを動脈内に挿入するため、被検者の動脈に硬化狭窄がある場合には、動脈内壁を損傷し、また動脈壁に付着した血栓を剥離させるおそれがあり、被検者の血流や血圧を激しく変化させ、血栓を飛ばし、梗塞を生ずる可能性が少なくない。

(二) このような危険性のある脳血管撮影を実施する場合には、医師は、事前に被検者又はその家族に右検査の目的、内容、必要性、危険性及び副作用等を十分説明して、その承諾を得るべきであるのに、山田医師は、右義務に違反し、原告らに対する説明及び承諾なしに本件撮影を実施した。

また、本件撮影は、説明及び承諾なしに実施しなければならないほど緊急を要するものでもなかった。

(三) 脳血管撮影を行う医師は、同検査が被検者の症状、検査の目的及び他の検査結果等からみて必要であるか否か、また、もし仮に必要であるとしても右検査のメリットとそれに伴う危険とを比較衡量して同検査を実施することが適切であるか否かを慎重に判断すべきであり、同検査の実施が不必要であるか又は適切でないと考えられる場合にはその実施を差し控えるべき注意義務がある。

本件において、原告の疾患は、CTスキャンによって容易に診断できたから、本件撮影は不必要であった。

また、原告の血圧は、虎の門病院に入院後本件撮影施行時まで適切なレベルにコントロールされておらず、

最 大  最 小

一二月一三日  一八四  一三〇

同月一四日  一六三  一一〇

同月一五日  一六八  一〇八

同月一六日(脳血管撮影施術前)

一六二  一一〇

とWHOの高血圧の基準(最大一六〇、最小九五)を越えて変動していたし、原告の動脈は硬化していたから、原告に対してセルジンガー法による脳血管撮影を実施することは差し控えるべきであった。

山田医師らは、原告の血圧が高く動脈硬化の程度が著しいことを知っており、原告に脳血管撮影を行うことは危険であると認識していた。

したがって、山田医師らは、原告に対してセルジンガー法による脳血管撮影を行うべきではなかった。

(四) 山田医師らは、本件撮影施行に当たり、原告に対し十分に麻酔薬を投与しなかった。

そのため、原告は、頭の中をドリルで削られるような激しい疼痛を感じて、何度も「痛い、止めてください。」と叫んだ。

被検者のこのような不安、恐怖心は、血圧上昇の原因となり、ひいては危険な結果を生じ得る。

山田医師らは、麻酔不足による右のような危険を知りながら、十分な麻酔をする義務を怠ったものである。

7  被告の責任

(一) 債務不履行責任(主位的請求原因)

原被告間には、昭和五五年一二月一二日、被告は当時の医療水準の知識、技術をもって原告の頭部を診断し、もし頭部に疾患、障害があれば、その原因、病名及び状態を明らかにするとともに、これに対して適宜治療を行うべき旨の準委任契約が成立した。しかるに、被告の履行補助者である山田医師らは、前記6のとおり右契約上の義務に違反した。

よって、被告は、債務不履行責任を負う。

(二) 不法行為責任(予備的請求原因)

山田医師らは、本件撮影を実施するに当たっては、当時の医療水準に基づき右検査の目的、内容、必要性、危険性及び副作用等を原告又はその家族に説明してその承諾を得るほか、同検査の必要性、効果、副作用及び症状等すべての事情を考慮し万全の注意を払って危険防止に努めるべき義務があった。しかるに、前記6のとおりその義務に違反して本件撮影を実施したため、原告に前記障害を与えた。

よって、被告は、山田医師らの使用者として、民法七一五条の責任を負う。

8  原告の被った損害

(一)治療費 二五七八万七九六五円

(1) 入院治療費(昭和五五年一二月一六日から同五七年五月二一日まで五二二日間入院) 四二三万五五三五円

(イ) 差額ベッド料 八六万三四一五円

(ロ) 付添費(一日五〇〇〇円×五二二日) 二六一万円

(ハ) 入院雑費(一日一四六〇円×五二二日) 七六万二一二〇円

(2) その他治療費 二一三五万八八一〇円

(イ) 退院後通院自動車代 一六万円

昭和五七年五月二一日以降週一回目黒区駒場の原告宅から川崎市梶ケ谷の虎の門病院分院まで一往復一万円×一六回

(ロ) 回生院ハリ治療費 一九万円

(ハ) マッサージ費(一回四〇〇〇円×七五回) 三五万円

(ニ)<1> 漢方薬三種類(朝鮮から購入一回三〇〇円×三×四八八日) 四三九万二〇〇〇円

<2> サヒヤン(一回一万円×三×四八八日) 一四六四万円

<3> 液薬 一五〇万円

<4> 鹿臍 一五万円

<5> その他薬代 二万六八一〇円

(3) リハビリ費 一九万三六二〇円

(イ) 階段等に手摺りを設置した費用 六万七〇〇〇円

(ロ) 風呂場及び手洗改造費 九万四四九〇円

(ハ) 義肢購入費 二八五〇円

(ニ) リハビリ用図書購入費 二万九二八〇円

(二) 介護料 一〇〇九万〇五三四円

六一歳から七三歳までの一二年間(新ホフマン係数九・二一五一)

1日3000円×365日×9.2151=10090534

(三) 家事従事不能による逸失利益 一二七三万七四一三円

(1) 障害を受けて以降本件訴訟提起時まで二一か月(女子全年齢平均給与月額一五万四二〇〇円×二一か月) 三二三万八二〇〇円

(2) 六一歳から六七歳までの六年間(新ホフマン係数五・一三三六) 九四九万九二一三円

154200円×12月×5.1336=9499213

(四) 慰謝料 一五七〇万円

(1) 後遺症(身障者福祉法による身体障害者障害程度二級) 一三三二万円

(2) 障害(入院一七か月及び通院四か月) 二三八万円

(五) 弁護士費用(損害額合計の約一〇パーセント) 六四三万円

よって、原告は、被告に対し、主位的に債務不履行に基づき、予備的に被告の使用者責任に基づき、七〇七四万五九一二円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五七年一一月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は知らない。

3  同3の事実中、原告が昭和五五年一二月一二日虎の門病院で受診したこと、山田医師がCTスキャン及びルンバール・タップを実施し、入院を決定したこと、原告と被告との間に原告の医療につき準委任契約が成立したことは認めるが、その余は争う。

4  同4の事実中、原告が一二月一六日、セルジンガー法による脳血管撮影を受け、山田医師らがその検査を施行したこと、原告に右側前・中大脳動脈系に梗塞を生じたこと、左片麻痺の後遺症を生じたこと、右後遺症が身障者福祉法による身体障害者障害程度二級に相当することは認めるが、その余は争う。

5  同5の事実は否認する。

原告には入院当初から軽度意識障害が認められたほか、一二月一三日には舌のもつれ感、ろれつの廻りにくさが、また同月一四日には左片麻痺が認められ、左無視傾向も出現した。

6(一)  同6の(一)の事実中、脳動脈撮影が高血圧、動脈硬化の患者に対して禁忌であることは否認する。

(二)  同6の(二)は、否認ないし争う。

山田医師は、一二月一五日、原告及びその家族に対し、脳血管撮影を行う旨及びその目的、内容、副作用等を説明し、承諾を得た。また、本件撮影については緊急の必要があったが、これについても事前に必要十分な説明をしている。

(三)  同6の(三)の事実中、本件撮影が原告に対して不必要であるか又は適切でなかったこと、原告の動脈が硬化していたこと、原告に対する本件撮影の実施は差し控えるべきであったことはいずれも否認する。

山田医師らにおいて、原告の動脈硬化の程度が著しく、本件撮影の危険性を認識していたことも否認する。

(四)  同6の(四)は争う。

7(一)  同7の(一)の事実のうち、原被告間に準委任契約が成立したこと、山田医師らが被告の履行補助者であることは認めるが、契約上の義務に違反したとの主張は争う。

(二)  同7の(二)の主張は争う。

8  同8の主張は争う。

三  被告の主張

1  脳血管撮影の必要性

(一) 診療の経過

昭和五五年一二月一二日二二時、医師小林和生(以下「小林医師」という。)が夜間救急外来で来院した原告を診察したところ、軽度意識障害、左後頭頂項部に腫脹を認め、二二時三〇分頭蓋骨レントゲン撮影、単純CTスキャン検査を実施した。この間、脳神経外科へ連絡し、山田医師が単純CTスキャン上に異常所見を認める一方、神経学検査で、<1>軽度意識障害 <2>左錐体路徴候 <3>左頂部皮下血腫、左腰部打撲を認めた。そこで、更に造影によるCTスキャンの必要を認め、山田医師らは二三時五〇分までの間に造影撮影(六〇パーセントウログラフィン一〇〇ミリリットルDIV)を行った。その結果、<1>脳正中領域の右から左への軽度偏位 <2>右側頭葉から基底核部にかけてのレントゲン低吸収値域の存在という異常所見が認められた。山田医師らは、右神経学的所見及びCTスキャンによる神経放射線学的所見に鑑み、原告の入院を決定し、更に、引き続き腰椎穿刺による髄液検査をした。

翌一三日には舌のもつれ感、ろれつの廻りにくさが認められ、同月一四日には左片麻痺が認められ、左無視傾向も出現した。

同月一五日には脳波検査を行ったが、全体の徐波化と右側頭部の徐波焦点が確認された。

(二) 右CTスキャン及び脳波検査の結果、右側頭部を中心とする脳障害の存在することが明かとなった。脳障害の原因としては、特に右側頭葉がサイレントエリアであることに鑑み、脳挫傷、脳梗塞、脳腫瘍等の存在を考慮しなければならないと認められた。また、原告については転倒が意識障害によることも考えられ、右の検査だけではこれらの疾患の鑑別がつかない状況にあり、更に脳血管撮影による検査を実施して確実に診断をする必要があった。なお、いわゆる脳シンチグラフィ検査法では前記疾患の鑑別診断は必ずしも容易でないので、脳血管撮影の方法を選んだ。

2  脳血管撮影の妥当性

(一) 脳血管撮影法としては、頸動脈直接穿刺法とセルジンガー法とがあるが、セルジンガー法が前者に比較して安全性の高い検査法である。

(二) 原告の血圧は、初診時最高一五八最低八八であって、その後の血圧測定においても、これを多少上下する程度の数値で正常血圧と高血圧の境界値を示したので、高血圧としてもきわめて軽度の高血圧と考えるべきである。

また、原告に対し本件撮影を実施する以前においては、原告の年齢等から考えて動脈硬化の疑いをもったものの、原告が動脈硬化であることは本件撮影の所見によって判明したものである。

なお、高血圧や動脈硬化でも脳血管撮影は禁忌ではない。

3  本件撮影実施に当たり山田医師には何らの過失がない。

(一) 山田医師は、脳血管撮影をする際、既に一二月一二日の造影によるCTスキャン実施時に造影剤テストを実施済みであることを確認したうえ、セルジンガー法の検査に入った。

(二) 同医師は術前前投薬(硫酸アトロピン、ジアゼパム、ニトラゼパム各一A筋注)のうえ、一三時四五分局所麻酔(一パーセントオムニカイン一〇ミリリットル)を施して慎重に右股動脈からセルジンガー針にてカテーテルを挿入し、術中バイタルサインのチェック、各動脈カテーテル挿入時の透視下でのカテーテルの位置、血管の確認をしつつ、一三時五五分から六五パーセントアンギオグラフィンを注入し始め、一四時二五分まで数回に分けて合計約四一ミリリットルを注入しつつ造影撮影をし、同三二分カテーテルを抜去した。

その間原告の血圧の上昇がみられ、一四時二分、最高一七二最低一三〇に上昇したため一時撮影を中止し、一四時九分降圧剤アポプロン一Aを注射し、一四時一一分再び造影撮影を開始したが、一四時二〇分最高一九〇最低一二八を示したので撮影を中止し、アポプロン〇・三ミリグラム一Aを注射し、運動麻痺等の神経症状のないのを確認したうえで撮影を続け、一四時三〇分には最高二一〇最低一三〇を示したので、降圧剤アプレゾリン二〇ミリグラムを投与した。その間運動麻痺等の神経症候を認めず、一四時三二分カテーテルを抜去したが、一四時三九分の血圧は最高一五二最低九四であった。

このように本件撮影中、若干の血圧の上昇は認められたものの、慎重な管理のもとに適切な投薬を行いつつ施術を進めたのであって、何ら過失はなかった。

第三  証拠<省略>

理由

一  当事者間に争いのない事実

被告が虎の門病院を経営していること、原告が、昭和五五年一二月一二日、虎の門病院で受診し、山田医師が頭部CTスキャン及びルンバール・タップを実施し、原告を入院させることとしたこと、原告と被告との間に原告主張のとおりの診療を目的とする準委任契約が成立したこと、山田医師らが、同月一六日、セルジンガー法による脳血管撮影を行ったこと、原告に右側前・中脳動脈系に梗塞を生じたこと、原告に左片麻痺の後遺症を生じたこと、右後遺症が身障者福祉法による身体障害者障害程度二級に該当すること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  本件の臨床経過について

<証拠>を総合すれば、以下の各事実が認められる。

1  原告は、二〇年来高血圧の状態にあったが、昭和五五年一一月二八日夫及び娘の朴聖姫とともにフランスヘ観光旅行に赴いた。一二月二日午後二時ころ、ロアール地方のシュノンソー城において階段を昇行中、六、七段目から真逆様に転落して頭部を強打し、両眼開眼のまま意識を消失したので、人工呼吸をして救急車で病院へ運び、同夜意識を回復したが、全身冷感著明で逆行性健忘がみられ、同月六日まで入院したが、入院中嘔吐数回があった。

同月七日、パリのホテルに戻り、同日及び同月九日の二回内科医の往診を受け、鎮痛剤の投与を受けたが、脳挫傷との診断で、このまま入院を待つよりも帰国して脳波の検査を受けるのがよいとの勧告であった。

2  原告は、同月一一日夫らとともにパリを出発し、機内では航空会社の配慮によりビジネス・クラスの座席を使用して、同月一二日夕刻成田空港に到着した。

原告は、直ちに寝台タクシーで慶応大学医学部附属病院に赴いたが、診療を受けられなかったので、午後一〇時ころ、虎の門病院に赴き、急患外来で診療を求めた。

3  同病院の同夜の外科の主当直医は脳外科の専修医山田医師、副当直医は小林医師であった。

小林医師が原告を診療したところ、主訴は頭痛と腰痛であり、左後頭部から頭頂部にかけて鶏卵大の血腫があり、左項部に皮下出血の波動を触れ(外に右眼瞼皮下出血及び左腰部皮下出血もあった。)、神経学的所見としては、見当識正常、瞳孔不同なし、対光反射迅速、眼球追視可能、自立起立可能、DTR(深部腱反射)に異常はなく、片麻痺もなかったが、話し方がゆっくりで応答に的確迅速を欠き、意識が清明ではなく、つぎ足歩行(片足の踵を他方の足の先につけることを交互に行い一直線上を歩く歩き方)が不能であり、左の筋力低下が認められた。同医師は、頭蓋内に何らかの異常が存在するとの疑いを抱き、当時同院では急患外来でCTを使用することは許されていなかったが、CTスキャンの必要を認めたので、山田医師の意見を求め、賛同を得て、CTスキャンの単純撮影を行った。その結果は、右側脳室の映像が欠け、脳梗塞、脳腫瘍、脳挫傷、脳浮腫などの異常の存在が疑われた。

4  そこで、山田医師及び小林医師は、造影剤使用によるCTスキャンを実施することとし、ショックを避けるためテストをしたうえで、造影剤六〇パーセントウログラフィンを静脈注射してCTスキャンを行った結果、右側頭部を中心として大きな低吸収域があり、占拠性効果をもつと判断され、脳正中領域の右から左への軽度偏位が認められた。そこで、両医師は、検査及び治療のため原告の入院が必要であると判断し、山田医師において原告の家族に対し右診断の結果と検査及び治療の必要性を説明して入院を勧め、同意を得た。

そして、入院前の翌一三日午前〇時四〇分ころ、ルンバールタップ(腰椎穿刺による髄液検査)を行ったところ、髄液は黄色を呈し、髄液の中に出血があったことを示していた。また、山田医師は、左錐体路徴候の所見を得た。

入院後、山田医師は、脳の腫脹に対する処置としてステロイドを投与し、抗けいれん剤と酸素も投与した。入院時の診断は、脳挫傷及び皮下出血であった。

5  同月一三日、山田医師は、脳外科部長相羽正医師と相談して、原告に対し、脳波検査、脳血管撮影及び脳シンチグラフィーを実施する方針を決定するとともに、頭部及び胸部X線写真撮影並びに血液の生化学検査を実施した。同日、原告には、ろれつがまわりにくいとの自覚があり、同日及び翌一四日、他覚的にも構語障害が認められた。

6  同月一五日午後二時、セルジンガー法による脳血管撮影施行の準備として、原告に対し剃毛をし、午後二時半には脳波検査を実施した。右脳波検査では、基本波は徐波の混入した不規則な波形を示し、また右半球徐波の左右差が認められ、異常脳波と診断された。

7  同月一六日、山田医師は、以下のとおり本件撮影を実施した。

(一)  一三時四五分 局所麻酔(一%オムニカイン一〇ミリリットル)施行後、セルジンガー針で右股動脈からカテーテルを挿入し、その位置をX線透視下に確認

(二)  一三時五五分 造影剤に六五%アンギログラフィン七ミリリットル注入(六秒間)

(三)  一四時〇二分 更に七ミリリットル注入(六秒間)

血圧が最大一七二最小一三〇に上昇

(四)  一四時〇九分 降圧剤アポプロン一A注射

(五)  一四時一一分 造影剤一〇ミリリットル注入(七秒間)

(六)  一四時二〇分 更に七ミリリットル注入(六秒間)

血圧が最大一九〇最小一二八になったため、降圧剤アポプロン〇・三ミリグラム一Aをカテーテルから注入

(七)  一四時二五分 造影剤一〇ミリリットル注入(七秒間)

血圧が再び最大二一〇最小一三〇に上昇

(八)  一四時三〇分 降圧剤アプレゾリン二〇ミリグラムをカテーテルから注入

(九)  一四時三二分 血圧の上昇及び原告の動脈硬化が予想以上に強かったため、椎骨撮影をせずに中断、カテーテル抜去

8  同日一五時〇五分帰室したが、原告には、左上下肢麻痺が認められ、一六時一五分CTスキャンを施行した。

9  その後も原告は虎の門病院で治療を続け、昭和五六年一月一三日リハビリのため川崎分院に移ったが、現在まで原告には左片麻痺が存在し、身体障害者障害程度二級の判定を受けている(原告に左片麻痺が発現し、身体障害者障害程度二級の判定を受けていることは当事者間に争いがない。)。

三  脳血管撮影と原告の片麻痺の因果関係

1  原告は、シュノンソー城における転落と頭部強打にもかかわらず、アンボワーズの病院を退院後帰国の途につくまで、連日パリの市内見物や買物をして過ごしたほどで、虎の門病院における本件撮影まで四肢の麻痺もなく意識も清明であったのに、本件撮影によって、左片麻痺が発現した旨主張し、証人朴聖姫の証言及び原告本人尋問の結果には右主張に副う部分がある。

2  しかしながら、本件撮影前、原告には頭蓋内の異常を証明する前叙の事実及び症状が存在したものであって、前認定の事実のほかにも、<証拠>によれば、原告の家族も、前記転落事故以後帰国までの間、原告の様子について、何となく意識がおかしく、傾眠傾向があり、性来心配症的性格であるのに楽観的となりときに冗談をいうなどの性格変化を観察し、虎の門病院に入院後も、一三日には何となく視点が合わず右の方ばかり見ていること、一四日には原告が左手に持っていた茶碗を落としたが、これに無関心であったことなどを観察したことが認められるし、前掲乙第四号証によれば、入院後、看護婦によって、原告の会話がゆっくりしており、ろれつが回りにくく、左手の握力が右よりも弱いことも観察されていることが認められるのであって、原告がパリのホテルに戻っていた期間に外出や外食が可能であったとしても、本件撮影以前に神経学的異常が発現していたことは疑いがない。なお、この点につき、証人朴聖姫の証言及びこれによって成立を認める甲第一号証によれば、パリで原告を診察したフランスの医師が神経学的徴候を認めないとの診断書を作成している事実が認められるが、同証人の証言によれば、同医師は特定の専門科目を標榜しない一般医であったことが認められるから、専門医の診断と比較すれば診断の正確性において劣ることがありうるうえ、証人相羽正の証言によれば、仮に事故直後に意識障害、運動麻痺等の神経学的異常が観察されなくても、約一〇日ほどのフリーインターバルあるいはルーシッドインターバルと呼ばれる意識鮮明な期間の経過後に意識障害や運動麻痺が発現することも認められるので、右甲第一号証によっては前記認定を左右するに足りない。

3  右のとおり、原告には、本件撮影前に意識障害や軽度の運動障害など神経学的異常が存在したものではあるが、本件撮影終了後に生じた左片麻痺は、それ以前の状態とは顕著に異なるものであって、従前の神経学的異常の異なる増悪というのは相当でなく、本件撮影中に原告の脳血管に新たな梗塞を生じたと認めるのが相当である。

そして、脳血管撮影によって脳血管に梗塞を生ずる機序としては、鑑定人下條貞友の鑑定の結果によれば、

<1>  カテーテルの尖端が内頸動脈内壁を擦過し、狭窄したアテローム硬化性プラークを傷付け、いわゆるコレステリン塞栓を飛ばす結果梗塞を生ずる

<2>  本件撮影中急激な血圧上昇により血管攣縮を来たし、梗塞巣周辺の低灌流域(いわゆるペナンブラ、正常に復す可能性を保持する脳組織領域)を遂に非可逆性壊死に至らしめ、新たな梗塞を生ずる

<3>  急激な上昇から低下と動揺する血圧変動に対し、既に狭窄が存在していた梗塞巣付近の血管の生理的対応(血圧の低下に血管を拡張して血流をふやす自動調節能)が不能で、血圧依存性に血流が低下し、新たな梗塞を生ずる

<4>  造影剤による赤血球の連珠状凝集(アグレゲーション)を生じ、血管内を流れる血液粘度及び赤血球変形能の低下を来たした結果、梗塞巣周辺に微小循環の障害が招来されて梗塞が拡がる

の四つが想定され、本件では<1>単独又は<2><3><4>の三つの複合のいずれかと推測されることが認められるから、原告の左片麻痺は、本件撮影によって生じたものと認めることができる。

四  説明義務違反について

1  原告は、脳血管撮影は、危険な検査で、一定の確率での重篤な結果の発生は不可避であり、このように危険な検査を行う場合、医師は患者らに対し、検査の目的、内容、必要性、危険性及び副作用等を十分説明して、検査を行うについての承諾を得るべきであるのに、山田医師らは右義務に違反して説明をしなかったと主張するので、この点について判断する。

2  まず、脳血管撮影がどのような診断方法であるかについて判断すると、<証拠>によれば、次の各事実が認められる。

脳血管撮影は、脳神経外科領域における補助検査法であって、頸動脈穿刺法と動脈にガイドワイヤーを介してカテーテルを挿入して行うセルジンガー法(大腿動脈に穿刺するのが一般であるが、上腕動脈、腋窩動脈、鎖骨下動脈を用いる例もある。)とがあり、前者では経皮的に総頸動脈を穿刺しての造影剤注入により脳血管像を撮影し、後者では大腿動脈からカテーテルを挿入し、X線透視下に大動脈を上行させ、造影剤を注入することにより、脳に流入する四本の主要な血管を一挙に撮影することも、内・外頸動脈を選択的に造影撮影することもでき、CTスキャンによる診断法の進んだ近時においても、用いられている。

頸動脈穿刺法では、穿刺部位に血腫を作った場合、脳血管塞栓の原因となり得るが、セルジンガー法では、大腿動脈穿刺部に血腫ができても脳血管塞栓の原因とはなり得ない。もっとも、セルジンガー法によっても、カテーテルの尖端が内頸動脈内壁を擦過し、狭窄したアテローム硬化性プラークを傷つけ、いわゆるコレステリン塞栓を飛ばして、脳血管に梗塞を生ずるなどの可能性は存在する。そのほか、造影剤による影響もあるが、近年は造影剤の改良により造影剤による大きな合併症はほとんどみられなくなった。

脳血管撮影による合併症の発生頻度は、報告者によってまちまちであるが、昭和五二年にオリーヴクロナが報告したところによると、合併症を局所的、全身的、神経学的の三種に分類すると、局所的なものとして最も多いのは穿刺部位に血腫を作ることで、他に造影剤の血管外注入及び内膜下造影剤注入などがあり、全身性のものとしては、嘔吐、はき気、蕁麻疹などがあり、興奮、眠気、混乱、めまい、発作、麻痺、昏睡等を含む神経学的な合併症の発生割合は、対象となった三七三〇人中一六八人(四・六パーセント)であり、失語症を伴い又は伴わない進行性の麻痺を生じた割合は一四人(〇・四パーセント)で神経的な欠損が永久的であった例は六人(〇・二パーセント)、死亡者は一人(〇・〇三パーセント)であり、神経学的合併症の発生と検査血管との関係では、右椎骨動脈撮影(一・三パーセント)、左頸動脈撮影(〇・四パーセント)、右頸動脈撮影(〇・二五パーセント)の順であった。

重篤なショック状態に陥るような副作用は極めて稀で、発生頻度は、〇・〇二ないし〇・三五パーセントとの別の報告例がある。

本件撮影を担当した山田医師は、当時までに二〇〇例ないし三〇〇例の脳血管撮影を実施していたが、麻痺が永久的に残った例はなく、一過性の意識障害が発生した一例を経験していたに過ぎない。

以上のとおり認められる。

右に認定したところによれば、セルジンガー法による脳血管撮影も、その発生頻度は低いとはいえ、重篤な合併症を起こす可能性を有するものであり、一定の危険性をもつ検査法であるといわなければならない。

3  ところで、医師の診断又は治療のための行為が患者の身体やその機能に影響を及ぼす侵襲に相当する場合、患者は自己の生命、身体、機能をどのように維持するかについて自ら決定する権能を有するのであるから、医師は、原則として、患者の病状、医師が必要と考える医療行為とその内容、これによって生ずると期待される結果及びこれに付随する危険性、当該医療行為を実施しなかった場合に生ずると見込まれる結果について、説明し、承諾を受ける義務があり、承諾を得ずにした前記のような侵襲行為については医師は私法上違法の評価を免れることはできないと解される。

ただし、この意味での説明義務の範囲ないし程度は、具体的事情によって異なることは当然であって、侵襲や危険性の程度が小であるとき、緊急事態で説明をしたり承諾を求めたりする余地がないとき、説明によって患者に悪影響を及ぼし又は医療上悪影響をもたらすときなどは説明を省略し又は可能な限度で説明をすることで足りると解されるし、患者本人でなくその家族に対する説明とその承諾で足りる場合もあると解するのが相当である。

本件の場合、脳血管撮影に伴う危険性は前認定のとおりであって、重篤な神経学的異常の発生頻度は著しく低いものの、片麻痺や死亡といった重篤な結果をもたらすこともないではない検査であるから、山田医師は、本件撮影を行うに当たっては、事前に原告ないしその家族に対して前叙の各事項の説明をし、承諾を得なければならなかったものというべきであるが、ただ、その説明の内容については、重篤で非可逆的な合併症の可能性を原告に説明することは、受検時の原告の不安と精神的緊張を増大し、悪影響を及ぼす可能性も考えられるところから、患者である原告に対しては合併症の危険性を告知するのは相当ではなく、この点は原告の家族に対して説明をするのが相当であり、また、重篤で非可逆的な合併症についての説明の程度も、発生頻度の低さに鑑み簡略なもので足りると解するのが相当である。

4  被告は、一二月一五日に山田医師が原告及びその家族に対し、本件撮影を行う旨及びその目的、必要性、内容、副作用等を説明し、承諾を得たと主張し、証人山田正三は、一二月一五日の昼前、病院内のエレベーターの前で、原告の娘朴聖姫に対し、簡略な経過説明とあわせて、脳梗塞・脳腫瘍等も考えられるので脳波検査と脳血管撮影をする必要があること及び脳血管撮影をすると一過性の麻痺が出ることがあり、麻痺が永続することもあるが、その確率は飛行機事故程度のものであると説明した旨証言するところ、証人朴聖姫は、これを否定し、虎の門病院の面会時間が午後三時以降であって、当日の昼ころは同証人は家で家事をしていたと証言し、原告本人も、原告本人尋問において脳血管撮影をすることについて全く説明を受けなかった旨供述する。

しかしながら、<証拠>によれば、原告の病室は一二月一五日午前一一時に六階北病棟から七〇二号室に変わったが、看護婦は看護記録に右病室変更の直後家族に対するオリエンテーションがなされたことを記録していること、同日午後二時には看護婦が翌日の本件撮影に備えて原告の陰毛を剃除し、午後二時半から脳波検査をしたこと、同日朴聖姫は原告の病室内で看護婦から翌一六日はテストのため昼食抜きとなること及び一六日は午後一時からのテストに備えて午後〇時半に家族の誰かが来院待機するよう告知されたこと、また朴聖姫は一五日に原告から脳波検査を受けたことを聞いたこと、一二月一六日朴聖姫は午後一時以前に病院に赴き、本件検査中待機していたことがそれぞれ認められるから、朴聖姫が一六日に検査時間に合わせて病院で待機したとき、それが本件撮影のためであることを同人は知っていたものと認めるのが自然であり、何の検査がなされるのかを知らなかったとする同人の証言は措信できない。原告が一二月一五日に前叙の剃毛を受けたとき、原告において看護婦に対し剃毛の目的やその必要性について質問をした形跡は証拠上全く窺えないが、脳血管撮影に備えてのものであることを知らないにもかかわらず右のように何らの質問をしないということは考え難いことであって、本件検査の実施につき全く知らなかったとする前記原告本人尋問の結果も、同様に措信できない。

したがって、証人山田正三の証言どおりの説明が一二月一五日に山田医師から朴聖姫に対してなされたと認めるのが相当であり、右説明の内容は合併症に関してやや簡略ではあるが、患者側から更に詳細についての質問がない場合には、右の程度の説明でも一応の義務履行を果たしたことになると解するのが相当であり、前叙のその後の朴聖姫の対応に照らすと、同人は本件撮影を承諾したものと認めることができる。

また、右説明とこれに対する承諾が直接原告との間でもなされたことを認めるべき明らかな証拠はないが、脳血管撮影のように患者の検査に対する不安や精神的緊張が合併症の発生又は増悪に悪影響を及ぼす可能性のある検査においては、成人として通常の判断力を備え患者ともつながりの深い近親者に対して説明がなされる限り、患者本人に対する説明を欠いたとしても、これによって説明義務を懈怠したというのは相当でないと解すべきである。本件の場合、証人朴聖姫の証言によれば、朴聖姫は、原告と同居している娘であり、フランスヘも原告夫婦と同伴し、入院中の原告を連日見舞って長時間付き添うという親密な関係にあり、フランス語の通訳をするほどの精神的能力を備えた成人であったことが認められるし、<証拠>によれば、一二月一五日に原告の高次機能の現状を診断するために筆記によるテストをしたところ、閉眼で「宮本」を「宮木」と書き誤り、二桁の足し算三題中二題、引き算三題中二題を誤算し、立方体の図の模写ができないなどの失調が認められた事実があり、当時原告には本件撮影の必要性の判断や決断をする能力が不足していたと判断されるので、このような事情のもとでは、患者である原告との間で前叙の説明や承諾がなされなかったとしても、説明義務懈怠の問題を生じないものというのが相当である。

5  したがって、説明義務違反についての原告の主張は、理由がない。

五  本件撮影の必要性、妥当性について

1  本件撮影の必要性について

(一)  原告は、原告に対する検査方法としては、CTスキャンで足りたのであって、脳血管撮影は不要であった旨主張する。

そこで、この点について判断するに、前記二で認定した事実に<証拠>を総合すれば、山田医師が一二月一三日相羽脳神経外科部長と相談した結果、原告には軽度の意識障害、歩行障害、錐体路徴候等の他覚的神経障害がみられ、CTにより右前頭から側頭葉にわたる皮質、皮質下の辺縁不正の低吸収域及びこの病巣によって生じたと思われる右側脳室の圧排、すなわちマスイフェクトの所見があり、造影剤によるCTで硬膜下血腫の存在は一応否定されて、脳挫傷よりも脳梗塞や脳腫瘍が疑われ、原告の転落時の意識喪失も転落により生じたものというよりも転落前の一過性脳虚血による疑いもあり、原告の意識障害や運動障害が転落後日時の経過により発現してきたものとすると外傷性の頸動脈閉塞症という死亡率の高く運動麻痺等重篤な神経脱落徴候が残る疾患などの可能性も考慮しなければならず、CTスキャンによってはこれらを解明することができなかったため、今後の治療方針を確立するための脳血管撮影が必要であったことが認められる。

もっとも、<証拠>によれば、昭和五五年当時、CTスキャンが脳血管障害の分野に大きな力を発揮し、従来脳血管撮影を施行しても困難な例が少なくなかった脳梗塞と脳出血との鑑別もCTスキャンによって容易にできるようになり、CTの普及に伴い脳血管撮影の適応は著しく減少していた事実が認められるけれども、<証拠>によれば、脳血管撮影は、CTスキャンの普及した現在なお、脳外科・神経内科領域において、病因の究明、治療方針の決定を目的として脳梗塞に対しても行われており、特に脳外科領域では手術適応の有無を決定するため脳血管撮影はほとんど必須のものとして行われているのであって、本件において、原告に対する脳血管撮影を中止して原告を病室に戻した後、午後三時五分ころには原告に左片麻痺が生じたので、直ちにCTスキャンを施行したが、その結果は一二月一二日のCT所見と相違するところがなかった事実が認められ、脳血管の病変の部位や程度は脳血管撮影を行わない限り証明することはできないものであって、CTスキャンが脳血管撮影に代替し得たものということはできない。

(二)  なお、原告は、一二月一二日山田医師らの診察を受けた際、同医師らから異常が認められないとして帰宅を勧められたと主張し、右事実からして、原告に脳血管撮影をする必要はなかったと主張するようであるが、右主張に副う証人朴聖姫の証言及び原告本人尋問の結果は、前記二で認定したところによって明らかなように、採用しない。

2  本件撮影の妥当性

原告は、脳血管撮影のメリットとそれに伴う危険とを比較衡量すると、高血圧で動脈硬化のある原告の場合に脳血管撮影を施行することは適当でなかったと主張する。

脳血管撮影に一定の割合で重篤な合併症が伴うことは前叙のとおりではあるが、その発生頻度はごく低いものであって、CTが普及しても、脳血管撮影の有用性は減少していないことも前叙のとおりである。

したがって、問題は、高血圧や動脈硬化のある患者に脳血管撮影を実施することの可否及び原告に対して脳血管撮影を実施することとした判断の適否に帰着する。

(一)  まず、前者については、<証拠>によれば、高血圧でしかも血管の動脈硬化性変化の強い被検者に対する脳血管撮影は、柔らかな材質のカテーテルであっても血管内壁を損傷することが全くないとはいえず、特に目的とする血管内にうまく入らない場合に引き戻し再挿入と反復すれば、内壁に存在するアテローム性プラークから塞栓を剥離し、その部位より末梢側に塞栓性梗塞を生ずることがあり得るので、血管の動脈硬化性変化の強い被検者に対する脳血管撮影はX線透視下に細心の注意を払って実施しなければならないが、脳血管撮影を必要とする場合の多くは高血圧や動脈硬化をもとにして脳に病変がある患者についてであり、非常に高度の心不全や腎肝不全があって危篤寸前であるとか危篤状態であるといった場合は別として、高血圧や動脈硬化の患者であるというだけでは適応でないということはできず、実際にも最大血圧二〇〇を超えるような患者に対しても脳血管撮影を実施していることが認められる。

(二)  そして、前掲乙第四号証によれば、虎の門病院の緊急外来で受診した後の原告の血圧は、

受診時    最大一五八 最小 八八

同 一八〇 同 一一〇

一二月一三日 同 一四〇 同  八六

同 一三六 同  七六

同 一四〇 同  九〇

同 一二二 同  八〇

同 一四二 同  八〇

同 一八四 同 一三〇

同 一五〇 同 一〇〇

同 一六四 同  九六

同 一四〇 同  九〇

同 一四二 同 一〇〇

一二月一五日 同 一〇〇 同  七〇

同 一二二 同  八〇

同 一一六 同  九四

同 一四〇 同 一〇〇

一二月一六日 同 一六六 同  九六

同 一二二 同  六六

同 一四二 同 一〇〇

同 一六二 同 一一〇

(本件撮影前)同 一五〇 同  九〇

の如くであったことが認められるし、証人山田正三の証言によれば、山田医師は原告が入院前から高血圧症で虎の門病院に通院し投薬を受けていたことを知っており、動脈硬化についても原告の年齢等から疑いはしたが、これを知ったのは本件撮影によってであることが認められ、これらの事実によっては原告に対して本件撮影を行ったことが不適切であるとはいえず、前叙のとおり、原告に対する治療方針決定のためには原告の疾患とその部位程度を特定する必要があり、CTスキャンによってはその目的を遂げることができず、他に本件撮影に代わるべき有効な検査方法はなかったのであるから、本件撮影を行うこととした山田医師らの判断に業務上の注意義務を怠った過失はなかったといわなければならない。

六  本件撮影施行上の過失について

1  原告は、原告の血圧が高く、且つ血圧は適切にコントロールされていなかったにもかかわらず、本件撮影を施行した点に医師の過失があると主張する。

そこで、この点について判断するに、<証拠>によれば、高血圧の患者に対して施術をする場合には、合併症予防のために、降圧薬療法を行い、血圧を適切な水準にコントロールすることが必要と認められ、鑑定人下條貞友の鑑定結果によれば、脳血管撮影の検査前に被検者の最大血圧が二〇〇以上ある場合には検査を延期することがあることが認められるが、前認定のとおり、本件撮影前の原告の血圧は、最大一四〇最小一〇〇を中心域として時折上昇する程度にすぎなかったから、高血圧ではあるとしても、軽度のものであるというべく、本件撮影のために格別降圧薬療法を行わなかったとしても、それだけで注意義務懈怠の問題とはならないものというべきである。

もっとも、本件撮影施行中の原告の血圧については、前記認定のとおり、午後二時二分最大一七二最小一三〇、同二〇分最大一九八最小一二〇、同三〇分最大二一〇最小一三〇と血圧の上昇が測定されているところであり、鑑定人下條貞友の鑑定結果によれば、脳血管撮影のように被検者に不安や恐怖心を与える医学的検査ではしばしば血圧の上昇が認められるもので、これが認められても必ずしも検査を中止する必要はないことが認められるものの、証人山田正三の証言によれば、山田医師は右血圧上昇のたびに本件撮影を中止し、降圧剤であるアポプロン又はアプレゾリンを投与して、意識レベルをみるなど、様子を観察しており、午後二時三〇分に原告の血圧が最大二一〇最小一三〇まで上昇したときには、アプレゾリンを投与したうえで、原告の動脈硬化が予想以上に進行していたことと、降圧剤の効果が思うようでないこともあって、本件撮影を中止したことが認められるのであって、この間においても山田医師に何らかの過失があったものということはできない。

したがって、この点についての原告の主張は失当である。

2  次に、原告は、本件撮影に当たり原告に投与すべき麻酔の量が不足していた過失がある旨主張するところ、原告本人尋問の結果中には、本件撮影中原告の頭部をドリルでえぐられるような激痛を感じたので、直ちに中止するよう頼んだとの部分がある。

そして、被検者の不安や精神的緊張が血圧に影響しうること、血圧の変動が脳血管の梗塞に原因力を有することは前叙のとおりである。

しかしながら、<証拠>によれば、原告は、本件撮影前の午後一時ころ前投薬の投与を受け、傾眠状態で本件撮影を受け、本件撮影を中止するまで傾眠状態が続いたこと、造影の一〇分前である午後一時四五分に局所麻酔一パーセントオムニカイン一〇ミリリットルを投与されていることが認められるのであって、右証拠と対比すると、前記原告本人尋問の結果はにわかに措信できず、他に麻酔不足など術前術中の管理不良で原告の苦痛が増大した事実を認めるに足りる証拠はない。

したがって、この点についての原告の主張も採用できない。

七  結論

以上の認定及び判断によれば、原告に対する本件撮影施行に関し、山田医師に過失はなかったものと認めるほかないから、その余の点について判断するまでもなく、原告の被告に対する本訴請求は失当として棄却を免れない。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 木下徹信 裁判長裁判官 稲守孝夫及び裁判官 飯塚宏は、いずれも転補につき、署名押印できない。裁判官 木下徹信)

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